キャリアパワー

第5回キャリアパワーはたらくよろこび作文コンクール 結果発表

高学年の部

最優秀賞

「果樹園で働く父」

湘南白百合学園小学校5年 芝口 楓怜さん

夏休みの朝私は、父の梨畑をのぞいてみました。周りが明るくなり始めたころで、畑にはひんやりした気持ちの良い朝の空気が広がっていました。葉のすきまから光がもれて、梨の実がきらきら美しく光って見えました。父はもう作業をしていて、背中には、うっすらと汗をかいていました。

夏休みのこの時期は、毎年梨とぶどうの収穫でとても忙しいです。この日はまず梨をとることから始まりました。父は実を手に取り、色や形そしてとう度をはかり食べごろの実をどんどん収穫していました。私はそれを受け取り、落とさないように気をつけながらカゴに入れました。梨は思ったより重くて、ひんやりしていました。次は、収穫した梨を袋に入れる作業です。同じ大きさの梨を選ぶのは難しく、時間がかかりました。私が手間取っている間も、父はだまってどんどん進めていきます。父の選ぶ梨はどれも形がそろっていました。

袋づめが終わると、直売所へ運びます。軽トラックに梨の入っているカゴを積んで出発しました。父は梨にきずが付かないように運転しているように私は感じました。

直売所に着くと、お客さんがもうならんでいて、
「今年の梨も楽しみにしていたよ。」
と言ってくれました。父は、
「ありがとうございます。」
と笑っていました。

配達を終えたあと、ぶどうの様子も見に行きました。ぶどうだなの下はすずしくて、時折心地よい風が「サーッ」と吹きぬけていきます。父はぶどうの色や形を確かめながら、余分なつるや葉をハサミで整えていました。
「ぶどうは日当たりと風通しを良くしてあげると美味しい実をつけてくれるんだよ。」
と教えてくれました。一日中父と仕事をしてつかれたけれど、お客さんの顔や、ぶどう畑の心地よい風を思い出すと、気持ちは明るくなりました。

父はこう言いました。
「果物作りは天気や病気との戦いなんだけれど、でも、『おいしい』と言ってもらえることで全部の苦労がふきとぶよ。」
と話してくれました。

そのとき、父の仕事は果物を作るだけではなく、人を笑顔にする仕事なのだと私は気づきました。

この体験で、私は『働く喜び』とは、自分の努力が誰かの幸せにつながることだと学びました。将来、私も、人をたくさん喜ばせることができる仕事がしたいなと思いました。

講 評

「葉のすきまから光がもれて、梨の実がきらきら美しく光って見えました」という箇所など、観察力や表現力、あるいは感性が、特に優れていると感じました。収穫したての梨について、「思ったより重くて、ひんやりしていました」と書かれているのも、実際の体験を通して初めて得られる感覚であって、そうしたものが的確に捉えられている点、印象に残りました。お父さんに負けないくらい人を笑顔にする仕事が見つかるといいですね。

優秀賞

「私のあこがれの人」

小学校6年 K・Rさん

お母さんが突然、インドネシア語を始めた。
「ママ、何してるの?」
お母さんが笑顔で言った。
「お勉強」
この時私は、大人なのに勉強って何言っているのかなと不思議に思った。なぜなら、大人は働いて、子どもは勉強する物だと思っていたからだ。お母さんの勉強という言葉に、私はなぜだか分からないが変に思った。

私のお母さんは、保育士だ。お母さんは、いつも楽しそうに仕事に行く。だから私は、きっと保育士の仕事は、子どもと遊んだり歌ったり楽しいのだろう。私は、ずっとそう思っていた。ちょっと簡単そうな仕事だなとも思っていた。

今年になってお母さんは、私が学校のクラブで習ったウクレレをひきたいと言って始めた。ピアノがひけるのになぜだろう。この時も、お母さんはうれしそうに言った。
「きっとウクレレでお歌を歌ったら楽しいし、ピアノ以外の楽器にもふれさせてあげたいな。」
考えてみると、ウクレレもお母さんにとって、勉強だったのだ。もしかすると、インドネシア語にも何か意味があるのかもしれない。気になった。なぜかというと、私の学校では、同級生のお家の人が仕事について話してくれる『生き方講座』があるからだ。お母さんの仕事とは、どのようなものなのか、どんなことを大事に考えて仕事をしているのか。お母さんの姿をみて私が思っているように、楽しくて簡単なのか。その授業を受けてから、働くということについて興味をもった。なのでお母さんに保育士の仕事について聞いてみた。

お母さんは、うれしそうに色々な話をしてくれた。そして、お母さんは保育士という仕事にほこりを持って喜びを感じて働いていることが分かった。話を聞いている時に、笑顔のお母さんが、真剣な顔になった瞬間があった。それは、
「周りからは、子ども達と遊んでいるだけで簡単そうって思われがちだけど、ママはね、大切な命をあずかって守ってるの。大事な宝物をあずかる大事な仕事をしてるの。責任のある大事な仕事だと思っている。」と、言った時だ。そんな言葉を聞いて、なんか、かっこいいと思った。心からすごいと思った。そして、お母さんに聞いた。インドネシア語について。
「お仕事で使いたいの。日本語が分からないお家の方と子どもに、朝のあいさつとありがとうと大好きだよって伝えたいの。」
と笑顔で言った。お母さんは、英語と中国語も話す。それも、仕事で不安なお母さんや子ども達を安心させてあげたくて勉強したそうだ。すごい。
「保育の仕事は、心のつながり。信らい関係だから、今でもできる勉強はしたいの、子ども達が喜ぶこともいっばいしたいから、働いててもずっと勉強。ママはれいちゃんの先生がこんな先生だったらいいなって思いながら働いてる。だから目標は、れいちゃんのこと、いっぱい愛してくれる先生だから、保育園の子ども達はみんな大事。」
私はそれを聞いて、ママってすごいなと心から思った。それと同時に自分が愛されてることを感じた。もしかするとお母さんは、『天職』に出会ったのかもしれない。だとすればうらやましい。

私にも夢がある。それは、保育士ではない。だけど、お母さんの仕事とのつながりを感じた。お母さんは子ども達を安心させてお家の人の宝物である命を守る。私の夢は、空の上でお客さんを安心させ、命を守る仕事。同じじゃないけどつながっている。だから、私はお母さんのような人になりたい。一人ひとりに寄りそって働ける人になりたい。なれるよう毎日、毎日、勉強して努力したい。なぜならお母さんは、今でも努力している。どんな仕事についている人でも、きっとそれぞれほこりを持って仕事をしているのだろう。働くとはどんなこと。お母さんを通して学んだことは相手を思いやることだ。私も、そんな大人になりたい。努力を惜しまず働けるお母さんのように絶対なる。

講 評

「努力を惜しまず働けるお母さんのように絶対なる。」という結びの一文が、とても力強く、頼もしく感じられました。原稿用紙のひとマスごとにきっちりと丁寧に、そして力強く書かれた文字からも、決意の並々でないことが、ひしひしと伝わってきました。「あこがれの人」に、さらに学びながら、近付いていってください。

入賞

「将来の夢が料理師になるまで」

共愛学園小学校6年 目黒 有彩さん

私の趣味は料理だ。この頃はまだ私が低学年の頃だった。わがままですぐかんしゃくを起こしてしまう問題児。そんな私を怒りながらも見守ってくれる母がいる。わがままで好ききらいが多い私でも母のご飯が大好きだった。そして、母に「今日は何のご飯がいい。」と聞かれ、私は「何でもいい。」というのが母と私の日常での会話。それを見ている姉も母に甘えていた。

母のご飯は栄養があって味は他とは違うとてもやさしい味。何よりそれが全部母のオリジナルの料理だっていうことだ。だから、どうしてこんなにおいしい料理ができるのか色々と研究をした。と言ってもまだまだ小さい私がそんな難しいことをせずただただ母が作ったご飯を味見するだけというしょうもないことだった。でもその頃の私はそれがとても重要だと思って、母の作っている姿をまじまじと見ていた。

包丁で切ったり、焼いたり煮たりなど母のことを見ているうちに興味がわき、たくさんお手伝いをするようになっていた。なぜこんなに美味しいのかなんでこんなに手際良くできるのかそして、母のようにできるために沢山お手伝いをした。切ったり焼いたりするのは最初は慣れなく火傷や切り傷が多く大変だな~と思いながら手伝っていた。でも毎日手伝っているうちにどんどん慣れていき大怪我もしなくなった。そして、気づけば気持ちも大変からちょっと楽しいに変わっていた。それがきっかけで料理をするのがとても楽しいと思うようになり、私のゆういつの趣味、将来の夢になった。

でもこの頃の私は将来とか考えていなく、姉にも母にも「将来の夢はまた変わるかもしれないよ。」と言われ私は否定せずただうなずくことしかできなかった。母も姉も私を心配してくれているのかなと思った。

だけど私が小学三年生の頃、私の将来の夢のきっかけができる。私がまだ小さい頃家族やいとこと一緒に行ったお気に入りのイタリアンレストランに行った。昔と変わらずお客さんがにぎやかだった。好きな理由、まず料理が美味しいし、お客さんみんながうれしそうに笑っていた。何より一番魅力的だったのがお客さんを笑顔にさせていたスタッフの皆さんだ。お客さんに笑顔で丁寧にわかりやすく接客して、私たちみたいな子供には特に優しく接してくれた。そんなスタッフさんがどんなすごい仕事よりも輝いて見えた。どんなにカッコイイ仕事でもどんな大変な仕事でも今まで見た中で一番に見えた。そして、私の中で将来はこんな人になりたいと、心で強く思った。

でも、そんな中で私は母と約束していた将来の夢があった。それは医者だ。医者と言ってもいろんな仕事がある。例えば、薬剤師や医者、看護師など様々な仕事で分かれているその中でも母そして私の父は薬剤師だ。私もまだ全然小さい頃父と母が働いている薬局に入らせてもらった。みんな愛想が良くてみんなのことが大好きだった。これが小さい頃の夢だ。でもそんなことはすぐ忘れてしまった。だから医者は将来の夢でも何でもない。だけど、こんな中途半端で良いのか心配だった。よ~く考えた結果が料理師がゆういつ変わらない一番の夢。自分の気持ちに決心がつき、そして私は時間があれば夕飯を一人で作ったり、お菓子をこっそり作るのが楽しみになり練習にもなった。

だけど、私が料理をし始め少し間が空いた後、母は仕事が多くなり、夜遅くに仕事から帰ってくる母は誰よりも疲れていそうに見えた。そして母と私は喧嘩することが多くなった。仲が悪くなり、私も学校から帰るとこもりがちになっていた。それが小学五年生の半ばだった。動画もスポーツも勉強も何もが楽しく感じなくて心が沈みずっと泣いていた頃があった。でもそんな頃の私は本当の楽しみが料理だっていう事を忘れていた。どうしても楽しいことを見つけたくていろんなことをし、久しぶりに料理をしてみた。久しぶりに作る料理は楽しく心がウキウキした。私の家族も私が作ったご飯を食べて「美味しい。」と言ってくれて疲れていた母も元気になった。家族や他のみんなに元気になってもらうのがこんなにうれしいんだなと実感した。医者も気になるけど、みんなに元気なってもらいたいっていうのがこんなにうれしいんだなって思いました。

まだ将来の夢が確定したわけではないけれど、料理やできれば医師を目指して、みんな元気になるすてきなお店を作りたいなって思いました。そして、疲れている人、大変な人など色々と悩みを抱えている人が元気になるような、料理を提供できるようにがんばります。

講 評

その時々のお母さんとの関係を思い浮かべて、微笑ましく、あるいは少しハラハラしながら、読みました。そして、料理師という一つの夢が少しずつ大きくなりはっきりしていった、その過程での気持ちの揺れ動きがよく描けていると思いました。

入賞

「ありがとう」は、「はたらく」を支える

倉敷市立豊洲小学校6年 厨司 燈さん

私は夏休みの宿題で、SDGsの目標の中から8番の「働きがいも経済成長も」の項目に取り組みました。私は「はたらく」とは、会社などに行って仕事をすることだけを意味していると思っていました。調べてみると、社会の一員として貢献するという意味があることを知りました。そのことを知った私は、職業の有無は関係なく、社会にちゃんと貢献できているか、いないかで「はたらく」ということが決まるのではないかと考えました。

そこで私は、一番小さな社会のひとつである家庭の中で「はたらく」について考えてみました。ひとつ思いうかんだことは、家の手伝いをすることです。私は台ふきや洗たく物をたたむなどの手伝いを、日頃から兄妹と分担して行ってきました。でも、私はどうして毎日手伝いをしないといけないのかと、手伝いをするたびに不満に思っていました。だから私は、どうやったら不満が減って、モチベーションが上がるのかを考えてみました。一つ目は、表を作って、できた項目にシールをはることです。二つ目は、手伝いをしたことを家族にアピールをすることです。実際に一週間、この方法を試してみました。一つ目のシールをはる方法は、シールをはることと、シールが増えていくことが楽しくて、私のモチベーションは上がりました。またシールをはっていることで、私も家族も手伝いをしたかどうかが一目で分かります。だから、手伝いをしたかどうかの指てきをされることがなくなりました。二つ目の手伝いをしたことをアピールする方法では、家族に手伝いが終わったことを伝えると、
「ありがとう。助かった。」
と言ってもらえました。
「ありがとう」と言ってもらえてうれしくなったので、もっと手伝いをやりたいと思うようになりました。そこで夏休み中は、ご飯を作る手伝いを追加してすることにしました。みそ汁や野菜いためなど、簡単な物でも、作ると家族全員が笑顔になって、
「とってもおいしいよ。ありがとう。」
と言ってもらえました。だから手伝いに、とってもやりがいを感じられるようになりました。「ありがとう。」と言ってもらえると、うれしく感じます。でも時々、「ありがとう。」と言ってもらえないことがあります。どうして私には「ありがとう。」と言ってくれない時があるのかと、少し不満に思っていました。でも私も、私の代わりにお父さんが洗たく物をたたんでくれたときに、「ありがとう。」を伝えそびれていたり、伝えた気になったりしていたことに気付きました。だからみんなも私と同じ様に、「ありがとう。」と伝えそびれていたり、伝えた気になってしまっていたりするのかもしれないと思いました。「ありがとう。」という言葉は短い言葉だけれど、モチベーションを上げるためにはとても重要な言葉だと気付きました。

これからも、家庭で自分のモチベーションを上げるには、どんなことをしたらいいのか考えて手伝いをしていきたいです。また、一週間の取り組みの中で、「はたらく」とは、「ありがとう」の言葉に支えられていると思いました。だから何かをしてもらったら、必ず「ありがとう」と伝えたいです。

講 評

何をするにも、モチベーションは大事ですね。家庭でのお手伝いをするにあたって、それを上げるために工夫した体験が、具体的にていねいに書けていました。また、「ありがとう」を伝えそびれてしまうような場合にも思い及んでいるのが、印象的でした。

入賞

「本がつなぐ未来」

湘南白百合学園小学校5年 清水 花さん

「本を読みなさい。」
「勉強をしなさい。」
の次に母がよく言う言葉だ。私の母は学校で図書館司書をしている。そのため、私の人生は常に本と共にあった。小さい頃には母は一日に十冊以上の絵本を読んでくれた。母のひざの上で、私はある時はネコになり、ゆうれいになり、石油王になって、大冒険をしたり、いたずらをしたり、国中のみんなを従えたりしてきた。いつもの私は授業中には手を挙げないし、友達に遠慮をして自分の思っていることを言えないし、みんなに否定されることをいつも恐れている小心者だ。そんな私が本の中では大活躍をして、みんなのリーダーになることができる。私は母のおかげで本が大好きになった。

そんな母から私はよく
「大学を卒業したら自分で働いて、自分で生きなさい。」
と言われる。その度に働くって何だろう?と思う。働くというと、汗を流したり頭を使ったり、我慢したり辛いイメージだ。でも働く母を見ていると辛いだけではなさそうだ。

私は将来作家になりたいと思っている。でも、作家として生きていかれるのはほんの一握りだと塾の先生が言っていた。私は作家として成功することができるだろうか。正直自信がない。そう言うと母が、
「お金をかせぐことは大事。だけど、それだけが働くってことじゃないんだよ。誰かのためを思って全力でがんばることが大切だよ。」と言った。

母は本の整理だけが司書の仕事ではないと言う。例えば、不登校でクラスには入れないけれど図書室には通える生徒がいる。その子の相談にのったり、悩みに寄りそう本を紹介することがあると言う。その生徒が本の感想を教えてくれたり、初めて会った時よりも元気になっていく姿を見るのが母のやりがいだと言う。私はその生徒が母に会いに学校に来られるなんてほこらしい。

私は、暗い気持ちになっている人が明るい気持ちになれる本を書きたい。私は今でも小さい頃に母に読んでもらった絵本を図書館で借りることがある。そして、母に読みきかせてもらう。すると童心にかえって、母のひざの上で読みきかせてもらった時の温かい感覚がよみがえってくる。どんな嫌なことがあった日でも純粋に楽しいと感じられる。私のストレス発散方法の一つだ。そんなふうに人生で何度も読み返してもらえて、読んだ人に温もりを伝えられるような本を書きたい。そして、母におすすめ本として図書だよりにのせてほしいと思っている。母と私のコラボレーション、それが私の大きな夢だ。

私はその夢を叶えるため、今はたくさん勉強して、たくさん本を読んで、たくさんの経験をして、毎日を一生懸命に生きたい。

講 評

作家として「読んだ人に温もりを伝えられるような本」を書いて、それを、図書館司書のお母さんにおすすめ本として紹介してもらう、そんな「母と私のコラボレーション」というのが、いいですね。「本がつなぐ」大きな夢、ぜひ叶えてください。

入賞

「働くを考える」

湘南白百合学園小学校5年 長岡 明里さん

私の父はオーケストラの事務局で、母は証券会社で働いています。そして、仕事以外の時間で、洗濯や料理などの家事をしてくれています。家事をする時に、「これは父の役目」「これは母の役目」など、特に分担はありません。時間がある方がお皿を洗ったり、洗濯をしたりします。(私もたまに手伝います。)食事の買い物に行くのも、作る人も平日と休日で違います。外での仕事も家での仕事も、二人とも同じように平等にやっています。父も母も出張で留守になることもあります。その時には、どちらかが仕事をしながら家のことも全部やっています。それを見ていて私は、誰のために働くのか、何のために働くのか、について考えてみました。

母が、「仕事」には、証券会社のように、別の会社の経営を支えたりする、BtoBと呼ばれる仕事と、小売店などのように、そこにやって来る消費者のために働くBtoCと呼ばれる仕事があると教えてくれました。私がイメージする「仕事」は、BtoCと呼ばれているものが多いと思いますが、世の中には更にそれを支える沢山の仕事があると感じました。私は、将来仕事をするとしたら、お客さんに楽しんでもらえて、自分にとってもやりがいのある仕事をしたいと思っています。

次に私は、「働くことの意味」について考えました。働くことは、はたして楽しいのか、何のために働き、どんなことを仕事にするといいのかを考える上で、まず父と母に、仕事は楽しいかを聞きました。するとどちらも、「楽しい」と答えました。母が楽しいという理由は、仕事を通じて世の中の動きを知ることができたり、社会に役立つことをしている充実感があるから。また、色々なチャレンジをして、自分が成長できていると感じる事ができ、家族を支えられることにも喜びを感じると話してくれました。父は、音楽という仕事を通じて他の人の役に立てていることを実感できたり、過去と未来をつないでいると思えるから。そして何より趣味を仕事にできているからだそうです。それを聞いて私は、「仕事」は、ただその内容だけではなく、その目的によっても楽しいと感じられるのだな、と思いました。それ以外にも、社会に貢献できるような仕事、人のために何かを作ったり、売ったりする仕事、自分の得意な分野を生かせるような仕事などありますが、どんな仕事を選んだとしても、働くことを楽しみ、働けることに感謝できるようになったら良いと思います。

私は、これらのことを考えて、改めて働くことの大切さと大変さを学びました。これからも、働いてくれている人々に感謝しながら、働く意味について考え、自分の将来やりたい仕事、楽しいと思える仕事を考えていけると良いと思っています。

講 評

「誰のために働くのか」「何のために働くのか」、そして「働くことの意味」とは何なのか、それらが、一番身近なお父さんやお母さんの話を通して、順序立てて考えられていました。将来の仕事については、まだまだ時間があるので、じっくり考えてください。

入賞

「夢」

小学校6年 K・Rさん

私は、教師になりたい。なぜなら、学校が好きだからだ。だが、学校が苦手な人もいる事を私は知っている。だからこそ、私は教師になりたいのだ。

私は、三年生まで学校が嫌いだった。もともと人見知りな性格に加えて幼稚園が一緒の友達が誰一人いなかったのだ。友達がいないのは寂しかった。でも、先生がいた。私にとって先生は友達のような存在で、先生にくだらない話や、自慢話などなんでも聞いてもらっていた。学校に行く楽しみは“先生と話す事”それだけだった。私の学校では、毎年担任の先生が変わるという決まりになっている。これは、先生を頼りにしている私には大きな影響を与える事なのだ。一年が終わると、「もし真面目な先生だったらどうしよう」や「もし怖い先生だったらどうしよう」など色々な不安がこみ上げてくる。しかし私がどんなに先生が変わらないでほしいと願っても時間は止められない。ついに、一年が終わり私は四年生になった。肝心の先生は、私と仲が良かった先生とは別の先生に決まった。一瞬で頭が真っ白になった。ずっと分かっていた。でも、もしかしたらあの先生になるかもしれないと心の底では思っていた、いや、「あの先生になる」と自分を信じ込ませていた。あの先生とは、話す機会が無くなってしまい最後に話したのは、三年生の終業式だった。いつ思い返してみても、自分の仕事もたくさんあって忙しかっただろうに、私に時間を使ってくれて私を一人にしないでくれて本当に優しかったと思う。私は、あの先生のように、生徒一人一人の気持ちに寄り添って誰も一人にしない先生を目指している。四年生になってどうやったらあの先生のようになれるかを考えるようになった。あの先生だって努力しなかったわけではない。絶対にたくさん努力しているはずだ。先生ばかり頼っていたら、いつまで経ってもあの先生のようにはなれない。そう思った。今から努力しなければなれるはずがないのだ。逆に言えば、今から努力すればなれる可能性がある、という事だ。

私のおはあちゃんは塾の先生をしている。今できる事を考えた時にパッとおばあちゃんの顔が思い浮かんだのだ。教師ではないけれど勉強を教えるという点ではつながっているのではないかと思った。早速、塾に顔を出してみると、先生たちの周りに行列ができていた。みんな困った顔をしていたので、先生に分からない問題を教えてもらいたい人の列だとすぐに理解した。私は、無意識のうちに体が動いて、最後に並んでいる小さな女の子に「どこが分からないの?」と聞いていた。その子は、ココと言いながら9+4の式を指さした。人にやり方を説明するのは学校で練習していたので慣れていた。しかし、私の説明が分かりづらかったようでキョトンとしていた。そこで、ひらめいた。先生のように絵で表せばいいと。すぐにその子に絵を描いて説明をし直した。するとその子は、目をキラキラさせながら「ありがとう。」と、言ってくれたのだった。それが私には嬉しくてたまらなかった。その時感じた嬉しいの中には、あの先生に一歩近づけた気がして嬉しいとありがとうと言ってもらえて嬉しいの二つが混ざり合った嬉しいだった。おばあちゃんが私に気づいて「これからも塾の手伝いよろしくね」と言った。「もちろん」私は自信満々に答えた。それから、ずっと塾を手伝っている。塾に行くと自分が先生になった気分になれて楽しかった。塾に行くたびに、教師になりたいという思いがますます強くなるのだった。

やっぱり、私は教師になりたい。今でもその思いは変わらない。私は、あの先生のようになることしか考えていない。でも私は、今もう一つ夢がある。それは、誰かの憧れの人になることだ。これは、教師での夢でもあるが、日常生活での夢でもある。自分の見つけた夢に向かって生きていくのは、素晴らしいことだと思う。

私は、夢を実現するために身近な事から取り組んでいきたいと思っている。塾の手伝いも取り組みの中には入っているが、もっとやった事もないことをしたい。例えば、学校で習った事を家で復習をするとか、困っていたら、年上・年下関わらず助けるとかだ。この二つ以外にもできる事はたくさんある。今できる事を考えて生活していきたいと思っている。

講 評

なぜ教師になりたいのか、どんな教師になりたいのか、よくわかりました。そして、「夢」を実現するために常に、今できることを考え、それに取り組んでいるのですね。思い描く理想の教師、あるいは「誰かの憧れの人」に、きっとなれると思いました。

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