キャリアパワー

  
capo vol90

感銘を受けた書籍

エドワードホールという方の本があるのですが、もしチャンスがあれば読んでみて下さい。「かくれた次元」という文化論的なお話で、人の距離感や個体距離、社会距離について書かれた本です。日本では、最も役に立つものかもしれません。私が日本に来て、1番悩ましいと思ったことは人との距離感です。やはり日本は人との距離感は、近くないです。しかし、遠くもないためどうしたら良いのか、常に悩ましい状態でした。電車に乗っても、どこに行っても、社会の中で日本の人達は、みんな無意識に間隔を空けています。そのため、人との距離の取り方が難しいと感じました。私がそれまでいた文化は、握手をしたり、ハグをしたりすることが無かったため、人と会った時にどうしようかなと思うことが沢山ありました。そういう意味でも、エドワードホールの本は面白くて、隠れた次元の中で、色んな文化の中での距離の説明の仕方を説明されています。

日本の文化について ~貸しと借り~

良い言葉か、悪い言葉かどうか分かりませんが、日本の「絆」や「縁」という言葉は面白い言葉だと思います。日本人は、対極的でこれだけ人との縁や絆を大切にしているのにも関わらず、実は距離感があるところがとても面白いと感じています。結局、文化的な近さがありながらも、そういったところが大変重要視されているということです。最近、朝日新聞の連載でも書いたものですが、貸し借りの関係において、日本では「借り」と「貸し」は抱き合わせで考えられています。私が日本に来た時にこの考え方にもショックを受けました。ある日、私が人にプレゼントをあげたことがあるのですが、相手はお返しを返してきたのです。私の方がプレゼントをあげたのにプレゼント(お返し)が返ってきたため最初は、何故なのか分かりませんでした。似たような例でいうと、お金を貰った時は、一部何らかの形で返すという文化も意味が分かりませんでした。貰ったものは素直に貰ったということで、いつ返すのかは考えなくても良いのではないかと思います。日本では人間関係をとても大切にされつつも、実はこの辺りの説明が明確に出来ないところが非常に面白いなと思います。最初からお返しを想定されているのであれば、もう渡さないというのが1番良いのではないかと思ったこともありました。しかし、渡せなかったら渡せなかったで、プレゼントを渡せていないというお話になってきますので難しいです。マリでは気付いた時にプレゼントを持っていきますが、日本はこれ位貰ったら、これ位返すというパフォーマンスのように細かく計算されています。そのため、私はわざとらしく結婚祝いをユーロ札かドル札で渡したことがあります。お返しが分からないようにするためです。恐らく、相手もどのような方法で返すのか、ユーロを返したら良いのか、いくらなのかを考えて、悩んだのではないかと思います。貰う側も困惑されたと思います。その次に結婚祝いを渡す機会が出てきた時は、アフリカのお金に変えました。ユーロは計算できますが、アフリカのお金ならば計算ができないからです。もうお返しは良いから、記念に持っておいて欲しいという意味合いで渡しました。

日本の文化について ~親と子の関係性~

私が昔サッカーの監督をしていた時のお話ですが、練習があると絶対に親は子供の様子を見に来ていました。練習にはお母さん達が来て、週末の試合になるとお父さん達も来ていました。そして親は、私の顔を見ると皆「うちの子がすみません。」と謝るのです。それを聞いた時は、何故なのか理解できませんでした。お世話になっているのは子供で関係がないのに、私と子供の関係に必ず親が入ろうとするのです。その後、私がミニゲームばかりを行っていると親が「監督、ミーティングをさせてください。ミニゲームが多くないですか。」と言ってきます。どういうことなのかを聞くと、「基礎をもう少し教えてほしい。うちの子はまだヘディングが十分に出来ていない。」と言うのです。何故、皆同じ基礎基準にしなければいけないのか。皆ばらばらの能力を持っているため、私はミニゲームで「この子はこの部分が伸びる。」とか、「この子には今度、基礎でこの部分をやらせる。」とか色々なことを考えていたのです。最初からどの子供がどのような能力を持っているのか分からない状態の時でも、親はとにかく皆同じ能力にすることを求めていました。例えば、2時間の練習時間があれば、1時間半くらいを基礎に使いました。走ったり、体を温めたりして、最後の10分から15分くらいの間だけミニゲームをしました。もし、私が子供だったらミニゲームの方が楽しすぎて、「何故だろう。」と思っていたと思います。しかし、ミニゲームを始めると親が「ちょっと…」と言ってきたため大変でした。合宿や試合などの行事も親が一生懸命になりすぎていて、本当に驚きました。私は自分の子供がスポーツをしていた時に1度も行ったことなかったため申し訳なかったなと思います。恐らく他の親は練習に行っていたと思います。色んな差し入れから、何から何まで担当していて、本当に日本は大変です。全てのスケジュールを子供のスケジュールに合わせて動いているため、特にお母さん達は大変です。しかし、今となっては興味深い経験でした。どこかのサッカーのチームに入って、監督を頼まれてやり始めたことがきっかけで、最初は翔鸞学区という京都の北野天満宮の近くで監督をしていました。最近、偶然人とお会いした時に、北野天満宮の宮司さん、その息子が私のチームの1人にいたというお話を聞きました。「息子がお世話になっておりまして。」と聞いて、驚きました。
先ほどの教育のお話にも共通していますが、海外ではどちらかと言うと親がどんどん存在感を消して、子供だけで1人歩きが出来るようにします。しかし、日本ではいつまでも親は存在を見せます。そこが面白いと思います。私が京都のどこかで講演会をした時に「質問はありませんか。」と聞いた時に、あるお母さんが手を挙げて、「来年の4月からお世話になります。息子が先生のところで准教授として就職します。息子が〇〇の学部に入って先生と仕事が出来ることを楽しみにしています。」と仰っていました。質問時間が終わって、個人的にお話しする時に来られたら良かったのですが、「質問はありませんか。」と聞いた時でしたので驚きました。恐らく、お母さんはそれほど嬉しかったのだと思います。
ヨーロッパでは、早くから学びを生かすという文化があります。やはり、ヨーロッパでは失敗する子は本当に大変な目に遭うわけですので、どちらが良いかどうかは分かりません。日本の場合は、失敗しない形でずっと子供を支えていきますが、ヨーロッパでは救いようがありません。そのため、どちらが良いかどうかは難しいところで私も分かりません。特に教育の分野では、この考え方が影響しており、ある意味で日本では親の方が、存在感が大きいです。子供よりも親のイメージが先に思い浮かぶケースが多いと思います。

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