キャリアパワー

  
capo vol90


社会に触れることによって、自分自身の立ち位置を磨く人材育成



京都精華大学

学長 ウスビ サコ様

1968年に「人間尊重」「自由自治」を理念に掲げて開学された京都精華大学。開学から50年以上の歴史を重ねた今も、世界に尽力する人材の育成に取り組まれ、卒業生は様々な分野で活躍されております。今回は、京都精華大学 学長 ウスビ サコ様にお話をお伺いしました。これまでの取り組みや今後の課題、昨今の新型コロナウイルス関連の対応、派遣利用、これまでのご経歴等に関して詳細にお話をしていただいております。

自分がどういう人生を歩みたいか 自分について考える機会を増やす取り組み

京都精華大学では、第一段階としてまず学生達には「大学という場を使って自分がどういう人生を歩みたいのか」という考えを引き出す取り組みを行っています。そのため、1年生の教育では、何かを考えさせることや、考えるとは何かということを教える授業が多いです。例えば、哲学の授業では市民としての自分はどういう責任を持つべきか、自由や自治についての話が多く、自分がこれから社会人になっていく過程でその第一歩として何をするべきか。まず、自分について考える機会を増やすということを意識的に行っています。
高校までの勉強は、どちらかというと作られたカリキュラムに沿って勉強していきますが、振り返ると自分にとって自分の身になるものも身にならないものも色々出てきます。しかし、それが自分の人間形成の過程でどういう意味があるのかということを考える機会はほとんどありません。さらに、特に今の世の中は他人に興味がない人が多いのです。近しい友達は面白いかもしれないけれども、価値観の違う人と触れ合う機会はあまりなく、皆さんの周りは、自分を理解する人達だけの塊になっています。しかし、社会人になると相手は選ぶことが出来ません。もし、営業職を選んだのであれば取引先の企業や相手を選ぶことは出来ません。やはり、まずは大学の第一段階として、そういった共通的な認識を増やしていくことが私達にとっては1番大事だと考えています。その中で出来るだけ色んな社会の人と触れ合うということ。大学だけではなく、社会実践的な授業も色々と用意しています。例えば、インターンシップに行ったり、国内外のフィールドワークに行ったり、色々と選択ができる形で、専門以外でもその人の身になっていくもの。「共通教育」と私達は呼んでいるのですが、それに対して1年生から徹底的に取り組みを行っています。やはり、自分の見方ではない人達とどうやって一緒に取り組んで行くのかということについても考えなければならないと思います。大学というのは、ある程度失敗が許されるような場で、堂々と失敗してもやり直しが利くところです。だからこそ、失敗とトライ&エラーが許される場所で思う存分行動をしてもらい、経験を積んでいくということが重要なのではないかと思っています。

海外と日本の大学との違い

日本と海外では大学生そのものの捉え方が違います。大学生というのは自立・自律した人格だと多くの国では思われていますが、日本では社会が守るべき存在だと思われています。そのため、日本では社会全体で大学生をどのように守っていくのかを中心に考えられています。就職にしても、そのやり方にしても基本的には家族はサポートします。支援する分には良いと思いますが、それが本人の自立・自律に繋がらなければ意味がありません。そのため、苦労はするけれども、そこまで苦労をさせなくても良い仕組みを社会が作っており、それに従っていけば無事に単位を取ることも難しい話ではありませんし、就職活動もマニュアル通りにやれば、何らかの形で就職もでき、会社にも入れます。そうではなく、やはり日本以外の多くの国では、大学生になった途端、1人で歩かなければいけないと思われています。これから、どのように自分を作っていくのかということです。失敗したら失敗したままで救われないかもしれません。だからこそ、大学生自身の自覚が違います。
日本では、単位を落とす学生の相談件数が非常に多いです。学生とは小まめに面談を行います。たまに本人にやる気がないのにも関わらず、こちらが本人よりも神経を使って対応している時もあります。卒業する 単位が不足し、その対応として再試験をする時も本人の責任のはずですが、周りがもう一度受けられる試験の紹介をしてサポートしたり、面談では他に履修し単位の取得ができる科目を紹介したりしています。なぜならば、日本では社会の中で程度を超えた失敗はだめだと考えられているからです。例えば、留年はある意味で、私はその人の人間形成の中でとても大事な部分だと考えています。浪人して大学に入る人は全員が悪いとは思えません。浪人して入って、自分の目標をしっかりと定めて、そこから頑張る人も沢山いると思います。しかし日本の場合は留年をさせません。留年者が増えるとイコールその学校はしっかりと学生の面倒を見ていないと認識されます。それは違い、誰のために大学があるのかという事と、学生そのものがどのような人格なのかという事です。この捉え方が日本と海外では全然違うと感じています。

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